JFN Association

全国FM放送協議会(JFN)

「JFN Association」は、JFNネットワーク、及び、加盟38社の各種活動情報(番組、イベント、営業展開等)を掲載しているWeb広報誌です。

「JFN賞2020」 各賞決定!

TOKYO FMをはじめ全国FM放送協議会(JFN 会長:黒坂修)加盟38社が、放送活動並びに新規事業の活性化とクオリティ向上を目指し、社会的影響力や企画力等、JFNグループ全体の発展に大きく貢献した事績を表彰する「JFN賞2020」の各賞が決定し、11月10日(火)にリモートによる表彰式が行われました。

◎JFN賞・企画部門

「JFN賞・企画部門」は、加盟各社がエントリーした放送・事業・営業活動事例の中から、JFN各委員会委員長から成る「JFN賞選考委員会」が10月21日に開催され、選定されました。今年の審査対象は、2019年4月1日から2020年3月31日までの間、JFN加盟各社が活動した作品です。今年は、エントリー34社57件の中から、以下の各賞が決定しました。

「JFN賞・企画部門」は、加盟各社がエントリーした放送・事業・営業活動事例の中から、JFN各委員会委員長から成る「JFN賞選考委員会」が10月21日に開催され、選定されました。今年の審査対象は、2019年4月1日から2020年3月31日までの間、JFN加盟各社が活動した作品です。今年は、エントリー34社57件の中から、以下の各賞が決定しました。

■大賞
TOKYO FM/HARUKI MURAKAMI 40th Anniversary 村上JAM
~村上RADIO SPECIAL NIGHT~

村上春樹氏の作家デビュー40周年を記念した特別番組「村上RADIO」の公開録音で、およそ4時間にわたるスペシャルJAMセッションを実施しました。ジャズへの造詣が深い村上氏を祝って、渡辺貞夫氏、大西順子氏ほか、本人とゆかりのあるジャズ・ミュージシャンによるセッションが実現し、客席には、村上氏と親交のある各界の著名人を招き、予告なしで登壇してトークセッションを行う等、オリジナリティとサプライズ溢れるイベントとなりました。(番組部門申請)

■優秀賞
広島FM/ポプラ×大窪シゲキの9ジラジ眉村ちあきキャンペーン(路面電車貸切ライブ他)

広島発のコンビニチェーン、ポプラグループの販促キャンペーンとして、アーティストのオリジナルグッズを販促特典とする企画を、春と秋の年2回コーディネートしました。クライアントが希望する“他にはない”アーティストとのコラボ企画の実現に向け、メジャーデビューしたばかりの個性派アーティスト系アイドル、眉村ちあき氏をキャンペーンアーティストに起用し、レギュラー番組「大窪シゲキの9ジラジ」と連動しました。広島のシンボルのひとつである路面電車「広電」で、広島初となる本格的車内ライブイベントを番組公開録音として実施し、全国から2,000通を超えるエントリーが店頭でのハガキのみの応募で集まりました。(営業部門申請)

■優秀賞
FM福岡/福岡市の首都圏などにおけるシティプロモーション入札案件におけるFM福岡・TOKYO FM 共同企画

福岡市の首都圏におけるプレゼンス、企業拠点の誘致数、移住定住者、それぞれの増加を目的とする福岡市の入札案件です。「プレジデント・オンライン」を経営者層、「ダイヤモンド・オンライン」をビジネスユーザー、雑誌「TURNS」を移住定住者、TOKYO FMのレギュラー番組内コーナー「スカロケ移住推進部」を移住検討者向けに広報展開。自社生ワイド番組で福岡の良い所を集め、TOKYO FMの番組で活かすようにターゲットごとの企画を提案し、落札しました。(営業部門申請)

■奨励賞
FM GUNMA/『ラジオ課外授業 ~閉館後の図書館で~』

新型コロナウイルスの影響で、当初予定していたイベントの公開放送を無観客で実施することになりました。この状況を逆手にとり、無観客だからこそ魅力が出る場所(閉館後の図書館)と番組内容に変更しました。卒業式が中止になってしまった高校生などに向けて、無類の本好きでもある女優・大友花恋氏、地元の高校、本の著者の協力で、本を通して「新生活へのエール」、「考えることの面白さ・大切さ」を伝えました。また、特別な場所の雰囲気に合わせて、オープニングの演出やエンディングで余韻を残す工夫もこらしました。(番組部門申請)

■奨励賞
FM AICHI/愛知県ドライバーマナー向上推進事業委託業務『AICHI Do! Safety』

1999年に開局30周年の記念企画としてスタートし、20年間にわたり取り組んできた交通安全キャンペーン。愛知県(ドライバーマナー向上推進事業)のラジオ社競合入札の結果、長年の実績が評価され委託業務を獲得しました。主要パーソナリティが県内全ての市町村を回り、地元ドライバーやリスナーから交通安全宣言メッセージを集め、各ワイド番組での放送により啓蒙活動を展開しました。2003年から2018年まで16年連続で交通事故死者数が全国ワーストだった愛知県は、17年ぶりに全国ワーストの脱却を達成しました。(営業部門申請)

■奨励賞
FM大阪/ON THE PLANET特別企画
「COLDPLAY“EVERYDAY LIFE”LIVE IN AMMAN AND LONDON」

「ON THE PLANET(JFN35局ネット)」内の特別企画として、環境問題に配慮してツアーを行わないと発表したことで話題になったロックバンド「COLDPLAY」の、アンマンとロンドンで行われたプレミアムライブを、当日収録したメンバーの貴重なインタビューもあわせて日本独占でオンエアしました。出演者が現地ヨルダンへ向かい、ライブ会場や政情不安なヨルダンの様子をリポートしました。日本全国にPRできるJFNのネットワークのメリットを訴求し、日本独占オンエアを実現させました。(番組部門申請)

■地域賞
FM北海道/電池式ラジオ普及プロジェクト
ONE HOME ONE RADIO「一家に一台、電池式ラジオを」

北海道で初めて震度7を観測した胆振東部地震は、道内全域の停電が長期化し、情報源として活躍したのは電池式ラジオでした。しかし、今はネット環境が普及し、電池式ラジオを常備する家庭は決して多くありません。そこで、一家に一台、電池式ラジオの常備を呼び掛け、協賛広告主と共に、1年間に1万個以上の電池式ラジオを無料配布しました。備えるためだけではなく、新規リスナー開拓にも重きを置いたこの活動は、2020年度も既に協賛社を獲得しており無料配布する予定です。(営業部門申請)

■地域賞
FM岩手/Thank You From KAMAISHI ~世界へ発信した復興と感謝~

ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会で世界が注目した“もうひとつのW杯”は、東日本大震災で被災したラグビーの街・釜石市で開催し、「復興W杯」として位置付けられ、震災の教訓を発信する意義を共有する時間となりました。東日本大震災を乗り越えて、W杯の釜石開催を実現させた自治体や市民の取り組みは、どのように街の復興や賑わいを生み出そうとしているのか。釜石開催に奔走した大会関係者、ボランティアスタッフ、市民へのインタビュー取材を通して、W杯にかける道のりを振り返りました。(番組部門申請)

■地域賞
FM愛媛/「上浮穴高校 桃太郎とまと ハヤシソース」レトルト発売(令和元年5月10日~)

愛媛県立上浮穴高校の生徒たちの「地元久万高原町特産の桃太郎トマトを使って地域貢献したい」、「年間40万トンも発生する規格外トマトを有効利用して食品ロス削減に貢献したい」という思いを、レトルトハヤシソースとして商品化。それに伴う資金や各種作業をバックアップ。県機関の助成金も受けることができました。レギュラー番組内で製品化の模様を放送し、発売後はスポット告知でアピール。自社ECサイトによる直販のほか、道の駅、県内スーパー等で販売し、発売3ヵ月で約4,000個を売り上げました。(営業部門申請)

■地域賞
FM佐賀/エフエム佐賀特別番組「From Pioneer To Challenger」

2020年に生誕120年を迎えた佐賀出身の実業家・市村清氏をリスペクト。番組冒頭に、佐賀県知事が出演。番組前半では、「Pioneer=先駆者」を、後半では「Challenger=挑戦者」をテーマに、佐賀にゆかりの様々な人物を紹介しました。また、番組では「チャレンジしたこと、したいこと」をテーマにメッセージも募集し、リスナーも巻き込んで番組を盛り上げました。(番組部門申請)

■地域賞
FM沖縄/特別番組 三百の刻をつなぐ ~組踊実演家・仲嶺良盛~

組踊の初演から300年となった2019年に、沖縄県立芸術大学大学院を卒業し、本格的に組踊の道を歩み始めた若手実演家・仲嶺良盛氏にフォーカス。次世代の組踊の継承者としての想いをドキュメンタリータッチで綴りました。オンエア数日前に発生した首里城火災にも触れ、組踊と首里城の関係や組踊関係者としての心情を語ることで、首里城火災の無念さも伝えました。(番組部門申請)

■特別賞
JFNC/『I Got Rhythm ~音楽が生まれる時』

その音楽が誕生し、愛されてきた理由を、残された証言者や音源から紐解く音楽ドキュメンタリー番組。出演者は月替わりで、設立80周年のブルーノート・レコードをピックアップした回では、日本でのブルーノート・レーベルの浸透と発展に貢献した行方均氏が、その神髄に迫りました。また、行方氏が監修したブルーノートの映画も公開され、番組と映画が縁となってFMとやま主催のイベントにも派生しました。行方氏は、惜しくも2020年3月に逝去され、本番組はメモリアル的なものとなりました。(番組部門申請)